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ホタテ養殖のはじまり

サロマ湖はホタテ養殖の発祥地です

  •  古来、サロマ湖の湖口は常呂栄浦の方にあったのをご存じでしょうか。その昔、蝦夷地探検家 松浦武四郎は、安政5年(1858)に鐺沸(トーフツ:現在の栄浦)を訪れて冬に大時化が頻発したときは、湖口が砂で塞がり、周辺に住むアイヌ人は生活や牡蠣の漁労などにも支障を来し、人力で砂丘を掘削して湖口を開けていた。と記されていたそうです。明治時代になると、開拓民が次々と入植し、例年4月頃、全くの手作業で湖口の切り開き工事「汐きり」が行われていたそうです。今のサロマ湖の湖口(湖の中央部でオホーツク海とつながる部分)は、湧別三里浜側の漁民が外海(オホーツク海)への漁業の不便から砂地の最挟部分を掘削しようと幾度の失敗がありました。しかし、昭和4年5月20日、通水溝が完成したものの水流の見込みなく失望して引き上げたところ、夜に大時化が起って、朝には幅約180mの湖口ができあがり塞がれることなく現在の湖口となっています。
  •  この新湖口開削により、昭和6年、サロマ湖内でホタテ稚貝の発生が確認され、外海からの湖内来遊(鮭・鱒・鰊・サンマ・など)も大幅に増えて浜は活気を呈していました。
  •  昭和9年、サロマ湖内でのホタテ養殖について、試験研究に着手。漁業の若者らも試験研究に努力し可能性が立証され、その後戦中戦後の時代が経過し、昭和27年(1952)、佐呂間・湧別・常呂の3漁協が出資して「サロマ湖養殖漁業協同組合」を設立。漁民らの熱心な研究の積み重ねによってホタテの養殖生産成功を導き出したのです。
  •  昭和40年代に入り、ホタテ養殖が本格化し、湖内の水質改善と特にサロマ湖東部(ワッカ栄浦方面)の環流不足を改善するため、昭和48年に国の事業で第二の湖口を開削する工事が着工され、昭和54年、7年越しの工事が完了しました。(鉄筋コンクリート幅50m、水深4m、延長300m橋梁付)この第二湖口の湖口の開削により、ワッカ栄浦方面の湖水環境が大幅に改善され、ホタテ養殖漁業も好成績を上げることとなりました。

下記は、広報サロマ-2012年8・9月号のサロマ湖ホタテ養殖技術の挑戦と転換(前編)/技術の伝承と研鑽(後編)です。

広報サロマ 2012年8月号【特集-漁業前編】

広報サロマ 2013年8月号

広報サロマ 2012年9月号【特集-漁業後編】

広報サロマ 2013年9月号

 ホタテで生きる以外に道はない

日本で三番目の面積を誇るサロマ湖。そこで生活する貧窮の底にあった漁民たちが20年にもわたる研究と挑戦の苦労の末に、全国初の「サロマ方式」と呼ばれるホタテ養殖技術を確立しました。しかし、道のりには大きな壁が立ちはだかりました。
男勝負に出た町のリーダーは歴史に残る談義を残しました。(下記のPDFファイルをご覧ください。)

『ホタテ談義』PDFファイル(238KB)
 

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電話:01587-2-1213